■ハーンの夢、円空の手。■

 

作曲家・平野 一郎

 


 私のような若輩に、舘野泉氏についてのエッセイを、という恐ろしい打診。

 不思議な縁に恵まれ、これまで私は氏のために2つの委嘱作品を書いた。ヴァイオリンとピアノ(左手)のデュオ曲〈精霊(せいれい)の海 小泉八雲(ラフカヂオ・ヘルン)の夢に拠る〜〉、ピアノ(左手)ソロ曲〈微笑ノ樹(ほほえみのき) 円空(えんくう)ニ倣ヘル十一面〜〉。縁を音に結ばせたのは、わが風土に生きた2先人、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)佛師(ぶっし)・円空。私にとって彼らは、2010年代日本の今此処に、舘野泉というプリズムを透して現れた妙なる幻影、啓示と触発の一群れだった。

 以下の駄文、ピアニスト・舘野泉論には程遠いが、一作曲家が如何に着想を喚起され、一双の作品を宿すに至ったか、その螺旋状の軌跡を追って、時の流れを行きつ戻りつ、ゆらゆらと綴ってみたい。

 

 私が舘野氏の左手による演奏と初めて直に接したのは201126大阪・いずみホール、演奏生活50周年を記念した演奏会『彼のための音楽を彼が弾くVol.4』。間宮芳生〈風のしるし・オッフェルトリウム〉、末吉保雄〈アイヌ断章〉、Coba〈記念樹〉、吉松隆〈優しき玩具たち〉…紛う事なく彼の為に産まれた曲目に耳を澄ませ、烈しい精神と柔らかい慈愛の奇跡的な共存を感じながら、氏の音と姿にいつしかこんな連想を抱いていた。


樹の(うち)に隠れた(ホトケ)を彫り起こす佛師

 

 そもそもこの演奏会に私が伺ったのは、一週前の2011130、拙作モノオペラ〈邪宗門(じゃしゅうもん)〉にてコンサートマスターをみごと務められたご子息ヤンネ舘野氏から、終演後の一席で「ヴァイオリンと左手ピアノの新作を」と依頼を受けての事。新作デュオの打診を聞くや、以前から心に留まる文章がふと頭に浮んだ。小泉八雲著『知られざる日本の面影』所収「日本海に沿って」の一節。夏は盆、精霊舟(しょうりょうぶね)の頃、出雲から東へと海に沿う旅の終り、鳥取・浜村温泉の海辺宿で八雲が見た、一夜の夢。

 ケルトの子守唄を口ずさむ謎めいた“出雲の女”、その長い黒髪が渦を巻いて青波に変じ、遥か天空に届く大海原となる。夢から醒めた“私”の耳には、現世(うつしよ)の海の轟きが…佛海(ホトケウミ)の引潮に乗って沖へと還りゆく精霊たちのざわめきが聴こえる…。

 海と歌を縁としてケルト/出雲という彼我が融け合うこの一節に導かれ、新作デュオに取り掛かった頃、あの2011311が来た。

 ハーンは猛烈な近代化の世にあってその流れに抗いつつ、海を畏れ尊ぶ日本の民の心根に鋭く深く共振し、“稲村の火”の伝説を通じてTSUNAMIという言葉を世界に伝えた人。春に着手した本作を、いつにも増して重い筆に悶えつつ夏の終りにようやく完成、初演は20111211東京文化会館、『ヤンネ舘野&舘野泉デュオリサイタル』にて。泉氏の左手から滴るピアノの雫が波紋を呼び、精霊の吐息の様なヤンネ氏のヴァイオリンに受け継がれ、途切れそうになる音楽を互いに繋ぎ留めながら、絶えることのない生命の波を織り重ねてゆく。聴きながら私の耳は、奪われても奪われぬ魂の歌を追っていた。

 〈精霊の海〉は、わが風土を(つい)棲処(すみか)とした小泉八雲、並びに〈怪談〉シリーズはじめ舘野氏が長年共同されたフィンランドの作曲家・故ノルドグレン氏、その両先達への、後代の日本人からのささやかな返礼でもあった。

 

 再び時は戻る。〈精霊の海〉が完成し、京都にてヤンネ氏に出来たての草稿を手渡し、帰宅して息つく間もなく日を跨いだ201192未明、紀伊半島を襲う豪雨のニュースが届く中、泉氏から「今度はピアノソロを!」というメールが飛び込んだ。それを読んだ瞬間、初めて氏の演奏を聴いた時の想念が、俄に甦った。


樹の(うち)に隠れた(ホトケ)を彫り起こす佛師


 その佛師は「円空」だ!という不思議な啓示が、何処からともなく訪れたのだ。

 円空とは、江戸前期に生きた美濃國(みののくに)出身の遊行僧。幼くして長良川の氾濫に母を亡くした円空は、同じ河辺に入定(にゅうじょう)するまでの生涯に亘り、美濃・飛騨・尾張を中心に、南は伊勢・大和、北は津軽・松前、果ては蝦夷國(えぞのくに)まで遍歴し、実に12万体を数える(おびただ)しい神佛像を彫ったと謂う。“鉈彫(ナタボリ)”とも称される一見荒削りの木像群は千変万化の佇まいを見せるが、しばしば樹そのものから湧き出たような微笑(ほほえみ)がその(かんばせ)に零れる。単なる優しい笑みではない、怨嗟(えんさ)から歓喜(かんぎ)へ、生類のあらゆる(ごう)をも包み込む微笑。

 風土の万象に“佛”を見出し地神供養して歩いた円空、その彫像に浮ぶ厳しくも慈しみ深い於母影(おもかげ)(とりわけ高賀の一木三像、左手に水瓶抱える十一面観音)。「左手の音楽祭」はじめ、厖大な新作を触発しつつ人々の内へ広がり沁みる舘野泉氏の音と姿に、それは私の中で、いとも自然に重なった。

 こうした心象に導かれ、作曲もまた、いわばピアノの中に知られず潜む“佛”を彫り起こそうとする営みとなった。晩春に取り掛かり2012715、円空入滅の日に完成した。 

 〈微笑ノ樹〉は、11の面から成る。(ヤマ)(ホトケ)に始まり、(トリ)(ミヅ)(シシ)(ツキ)(サト)(ハナ)(ムシ)(ヒ)(ヲニ)、そして(カハ)ノ佛へ。山に発し里を経て河へと至る曲折の旅路に彼僧が出遭う、有象無象(うぞうむぞう)垂迹(すいじゃく)した“佛”の顔が、ひとつまたひとつと結ばれていく。

 ひとりでに、あっという間に産まれ出た本作の譜を舘野氏に送るや、当初の予定は急遽半年早められ、1129日東燃ゼネラル音楽賞受賞記念演奏を皮切りに、2012128東京文化会館にて曲目変更しての日本初演、14日在ベルリン日本大使館での世界初演と矢継ぎ早に上演が重なり、想像以上の反響を惹起し続けている。 

 

 ハーンと円空。思えばそのどちらもが、旅に生きながら地の運命に深く寄り添い、人々の心底に響き合っては、真の普遍を言葉や彫像に謳わせた人。楽壇の固定観念や権威主義と“闘う”というより、ひたすら自然体で超越して来た舘野氏の歩みは、彼らの営みに深く通じている、と私は確かに感じている。

 両手の頃より絶え間なく磨き抜かれた舘野氏の音色、そのたった一音の波紋から、さながらハーンの夢の如く、彼我の境をやすやすと越えて、東西の心を繋ぐ精霊の歌が響く。氏を通すと、世界の音楽が日本の大気を、切に震わせるのだ。

 もはや何ものにも捉われない舘野氏の左手からは、まさしく円空の手がそうであったように、樹に隠れていた“佛”たちが、赤子のような無垢の薫りと共に、次から次へと飛び出してくる。彼の為に何十もの作曲家が宿した数限りない新作は、そのひとつひとつが舘野氏の彫った“佛”なのだ。

 しかも、この壮大な「左手の音楽祭」の向こうにまだ果てず、青色に霞んだ水平線が広がっている。夢の世界の無限に似たその広がりに、私たちの魂は魅せられ、大切な希望を託しているのだと思う。

 

 今日もまた、新たなる縁の結び目。三宅榛名、松平頼曉、塩見允枝子、末吉保雄、吉松隆各氏の作品が上演される。

 演奏会場の程近く、東京国立博物館では、〈微笑ノ樹〉作曲の折に訪ね歩いた飛騨の“円空”たちが、(ひな)を離れた晴れの舞台に、光を浴びて佇んでいる。

 

 

〜201333日『舘野泉〜左手の音楽祭Vol.4』プログラム掲載